毎日新聞 2006年9月22日 15時00分 (最終更新時間 9月22日 15時41分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060922k0000e040085000c.htmlより全文
子猫殺し告白:坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府 直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した。
◇坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している
私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。
さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
◇解説…動物の生と死、多角的議論を
坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない。
「雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている」。この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった。言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。
また、猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。野良猫の7割以上がウイルスを持っているといわれる猫エイズの予防だ。治療法は確立されていないが、体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。
現代社会の猫や犬は、単なるペットではなく、人生の伴りょとして扱われる。坂東さんに賛同する人は少ないだろう。ただ、私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。【鳴海崇】
◇子猫殺し 坂東さんが日経新聞8月18日夕刊でエッセー「子猫殺し」を掲載。飼っている雌猫に避妊手術をせず、子猫が生まれるとがけ下に投げていることを明らかにした。日経にはメールと電話で延べ1497件(今月19日現在)の意見が寄せられた。「残酷で不快」「動物愛護の精神に反する」「生命を軽視している」「避妊手術と、子猫を殺すことを同列に論じるのはおかしい」など、大多数が批判。少数だが「納得できた」「これからも生と死について書き続けて」との賛意もあった。
う〜〜ん
また、随分と突っ込まれそうな寄稿ですね〜
坂東さんの寄稿に対しての感想は、他の人にまかせることにして
別の記事で
動物愛護って何でしょう???
というのを一つ
もう一年ほど前の記事なのですが、しっかりリンクしてました
八重山毎日新聞 (2005-10-17 10:00:09)
http://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=true&article_id=2416より全文
捨てられた犬の行方を追う [1]/1平方メートル余のオリに16頭
石垣港から運ばれてきた犬たち。大里村の動物愛護センターに向かうトラックに積み込まれる=7日午後2時ごろ、那覇新港内の貨物置き場
“馬乗り”状態で石垣から 終着地はガス室石垣島で犬をめぐるトラブルが絶えない。群れをなして子牛を襲うなど家畜被害も相次ぐ。八重山福祉保健所などが捕獲に乗り出す。そうやって捕まえ、あるいは持ち込まれる犬は年間700頭余。その8割は飼い主が現れなかったり、もらい手がみつからなかったりして本島に送られてくる。そう、殺処分されるために。犬の受難。見捨てられた犬の行方を追った。(比嘉盛友記者)
10月7日(金曜日)の那覇新港。コンテナが立ち並ぶ貨物置き場に1メートル超四方の金網状のオリが置かれている。中には16頭の犬。首輪をつけたのも6頭。黒、白、茶など毛色もさまざまだ。立つスペースがないほどのぎゅうぎゅう詰めで、馬乗りのような姿勢の犬も。すべて、前日の木曜日に石垣港を出港した貨物船で運ばれてきた犬たちだ。
10月だが、日差しは強い。この日朝に陸揚げされた16頭はここで数時間の待機。午後2時になって1台のトラックがやってきた。オリはすかさずフォークリフトで持ち上げられ荷台に。トラックが発車する。揺られること40分。大里村の県動物愛護センターに着いた。他の保健所から持ち込まれた犬たちが収容されている最中で、しばらく待たされる。
オリに近づくと強烈な異臭が鼻をつく。大型の犬は元気だが、小犬などは隅に追いやられ、金網に顔を押しつけられるようにして立ったまま動かない、座ったまま顔を上げない。近寄っても、ウンともスンとも発しない。伏し目がちだ。長旅で疲れ果てているのだろうか。
「外で待っていて下さい」。積みおろし場のプラットホームはシャッターが下ろされ、厳重管理のもとトラックの荷台からおろす作業が始まった。部外者の立ち会いは許されない。逃げられたり襲われたりしたら大変だ。
16頭はオリの開閉口からそのまま鉄格子で仕切られた通路を通され、「5号成犬室」に収容された。
県動物愛護センターには犬を抑留するための部屋が1号から5号まである。収容される犬が最初に入るのは1号。翌日に2号、翌々日に3号と日を追って5号に近づいていく。
ここで5日間待機するが、この間に飼い主への返還や譲渡がない犬たちは5号からガス室に送られることに。
八重山福祉保健所からくる犬はすでに抑留期間(3日間だが実質1週間)を過ぎているため5号直行だ。
ここが見捨てられた犬の終着地。これで16頭は週明けに殺処分を待つだけの身となった。毎日、どれぐらいの数の犬や猫が
この記事と同じようにして
殺されているのだろう?
動物愛護とか
命の尊さとか
他者
或るいは
他の生物へのいたわり
とか
いうのって
何だろう?
毎日、多くの人間も
飢えや
戦争で
亡くなっている
という
事実もありますし・・・
僕には、難しすぎます
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